ブログの弊害とお坊さんの言葉。

こんばんはダメ主婦のダメ子です。

 

私は昔から人に文句を言うとか、嫌なことは嫌だと伝えるってことが苦手。

日本人は「バンバン伝えます!」って人のが少ないのかもしれないけど、自分が我慢してその場が治るならいいとか、事なかれ主義で生きてきた。

だからせめてこのブログでは、自分の本心とか嫌な気持ちとか我慢せず書いてます。

そうすると不思議でさ。

実生活でも文句や本心を表に出すことのハードルが下がってくる。

先日、勝手のわからない個人商店で順番待ちしてたら後から来たおばさんにあっさり抜かされて。

どうやら特に待たずに注文してオッケーだったみたいなんだけど、そんなもん常連でなければわからなくて、カチンと来てしまい。

「待ってたんですけど?」とおばさんに伝えてしまった。

以前の私なら絶対口に出さなかったであろう言葉がつい出ちゃって自分でもびっくりした。

その場は客も店員さんも気まずい雰囲気が流れて、あー言わなきゃよかったかな。と後悔しました。

言わなかったら言わなかったで、イライラが募って「私の人生こんなことばかり。」とか思ってそう(笑)だからどっちが正解だったのかなー。

でも結局、このぐらいのささいなことなら「順番抜かしに文句を言う客」になるより「順番抜かされて内心イラつく私」で居た方がマシだったのかも。

 

ブログで本心をストレートに書き続けてると、気をつけないとこんな弊害があるなんて。

人間って不思議だよね・・。

そこでふと思ったのが、S N Sとかで人を批判中傷したり炎上にここぞとばかり乗ってる人たちって匿名のつもりだけど日常生活にも少しずつ影響出てるんだろうなー。

 

それに通ずる話で、先日実家の仏壇じまいの魂抜きにお坊さんがお経上げに来てくれたんだけど

その時「仏壇が無くても、仏さんに手を合わせて祈ってほしい。どこかで仏さんが行いを見てるぞって思いながら善く生きてほしい。若い時はそんなもん意味ないと思うかもしれないけど、そういう積み重ねが年齢を重ねた時に徳になって、自分のためになる。」みたいな事をおっしゃっていた。

 

なんかタイムリーで「なるほどー。」って思ってしまいましたw

誰も見てなかったとしても日々の行いが自分の人格形成に影響してるんだって実感してしまった。

 

人に無理に好かれる自分で居る必要はないけど、嫌われるひねくれ老人みたいにはなりたくないよね。

人が見てない時の自分の行動を気をつけないとだね・・。